About
『Apron Work』
池田栄里(いけだ えいり)
エプロンデザイナー
1964年生まれ。
青森県つがる市出身。
桜美林大学文学部英語英米文学科卒。
神奈川県藤沢市在住。
幸せスイッチが入る、あなただけの世界に一枚しかないエプロンをお届けしています。
プロ洋裁師な母親の影響で、幼い頃からファッション大好き。
しかし、両親の反対もあり、高校・大学は英語科。
就職も不動産会社の経理・営業事務。
アパレル業界に興味あったが、別の道へ。
更に結婚後出産し専業主婦の頃、この先の人生、妻や母の役割だけで終わってしまうかという不安を抱く。
そんな時、子供と通っていた絵本屋主催のバザーで、手製の親子ペアエプロンを着て参加。
ママ達から注目を浴びたのがきっかけで、私のエプロンスタイルが確立。
離婚後、念願のアパレル業界で雑貨クリエイターとして、11年間幅広く働くも、クライアントの要望を受け入れすぎた結果、自分軸が大ブレ。
その失敗を克服する為、作り続けたいアイテムは何でどんな風に仕事したいか?を検討した結果、浮かんだのがエプロン。
仕事の方針も、合わせない、媚びない。
私のエプロンワールドを思い切り表現したい!
性別年齢職業関係なくどんな人も、働くスイッチを入れ颯爽と着こなし、幸せになるエプロンをデザインし続けます。
エプロンを作るきっかけ
幼少期
若い頃、洋裁の専門学校を経て、結婚後自宅一室で洋裁教室の先生をしていた母。
後に、祖父の家業を継ぐことになり、洋裁教室を辞め、お店の手伝いもしながら、オーダーメイドな洋服作りの職業夫人でもあった。
家には定期購読『ドレスメーキング』『かわいい子供服』のドレメ式の洋裁本と『暮らしの手帳』が母の本棚にずらっと並んでおり、私もよく観てました。
何故か既製服を買ってもらえず、洋服のほとんどが母の手作り。
でも、デザインを一緒に考え、母に連れられ汽車に乗って、大きな都市の生地屋さんで、私の洋服の生地やボタンなどを選ぶのが、とても楽しかった。
当時仕事が忙しく、洋裁・編み物・手芸など、母から伝授された記憶がありません。
ですから、母から貰ったハギレや毛糸などで小さなお人形の服を、チクチク手縫い遊びを楽しんでいました。
小学5年生の時、近所に毛糸・手芸品店ができ、かぎ針編みや手芸を習う。
中学時代
洋裁は、母のミシンを使わせてもらえなかったので、編み物(棒針編み・かぎ針編み)を独学で。
習い事が好きで、小学時代から続けていたピアノ・習字の他、茶道・LL教室(英会話)も。
当時、英語を習う子供があまりいなかったせいもあり、LL教室での英語が学校の授業の成績に功を放ち、英語の成績がかなり良かった。
そのせいで、地元公立高校のすべり止めで受けた英語科のある私立高校に、地元初トップで受かり、ちょっと天狗になり(笑)、先の進路も曖昧なまま、あっさり進学。
高校・大学時代
高校から親元から離れ、1・2年生は女子寮、3年生で少し自由な下宿生活。
学校生活も思った以上に環境の変化になじめず、3年間自分が本当に望んでいる勉強はファッションなのでは?と葛藤。
しかし、特に寮生活では厳格なタイムスケジュールのため、趣味をする気も失せ、ひたすら勉強することしかなかった。
そのせいでわりと成績が良かったが、大学進路もストレートに英語科に行くのに迷いがあって、何気なく両親に相談したら、特に母の猛反対を受けショック。
結局、両親の意向に逆らえず、大学進路もストレートに英語科。
しかし、田舎から離れ上京し、都会の誘惑も刺激的で、青森から東京へと、親の目も頻繫に届かない距離でのアパート暮らし。
勉強よりも、学園内のダンスサークルと遊びに夢中。
ファッションもDCブランドに身を包み、大学3年生までアパレル業界人が集まるDisco通い。
アルバイトも、アパレルショップの店員などもした。
しかし、店長やスタップのイジメにも逢い、華やかに見えたアパレル業界の裏事情・裏生活も知り、憧れから失望へ。
大学4年生の時入会したスポーツクラブのエアロビクスにはまり、進路もインストラクターを目指し、別にダンススタジオで免許も取得するが、フリーからでなければ仕事に就けない現状に進路変更。
OL時代
普通に安定した不動産会社の事務職に就き、ファッション・ダンスは趣味の世界に。
衝動的に丸井で買った安物の家庭用ミシンはあっても、使ったのも数回。
そのうち、自分は何をしたいのか分からず流されてしまった6年間。
結婚生活
OL時代友達の紹介で出逢った交際相手と結婚。
一年後には子供を授かり、元夫の意向が強く専業主婦に。
結婚し妻から母親へ。その時初めて買ったエプロンがMUJIのストライプ柄サロンエプロン。
後ろのボタンで留めるストンとした定番BOXデザイン。
当時、料理や掃除の時だけ着用していたので、エプロンはこの1枚だけ。
汚れても外に着ていくモノではないという認識だったので、こだわりもなく割り切って、あちこちシミだらけのエプロン。
元夫の家庭が夫は外で働き、妻は家庭を守る専業主婦だったせいもあり、子育ては女の仕事とばかりに一人で外に出かけることも許されず、私は常に子供と一緒。
お出掛けする時は、綺麗な恰好であっても、家ではヘアースタイルも乱れ、たった1枚の汚いエプロンを着て子育て。
社会との繋がりがなく、働けないから自由に使えるお金も時間もなく、経済的に働いている元夫に逆らえない日々が続き、子供は可愛いし成長は嬉しいけど、知らず知らず育児ノイローゼでした。
少し、子育ても慣れてきた時、この先の自分はどうなるのだろうと不安がよぎり、ふと自分の好きな事を始めてみようと、随分と長い間押し入れにしまい込んでた家庭用ミシンで、子供の幼稚園グッツや洋服・服飾雑貨を作ってみた。
自分が無収入だったから、新しく生地を買うのも気が引けて、自分達の古着で綺麗な部分をカットして作りました。
夫にお願いして毛糸を買い、子供のニットはジャケットカーディガン・ベスト・手袋も。作るモノは子供のものばかり。
そうしたら、長い間忘れていた洋裁・編み物・手芸が、メチャメチャ楽しくて夢中。
幼少期の自分とリンクしたのです。
そして、子供と通っていた絵本屋のバザーでプチ収入欲しさに、手作りクラフト雑貨・服飾小物とドーナツを出店。
その時に新しいエプロンが必要で、自分と息子のペアエプロンを作りました。割と綺麗な白の綿シーツで。
親子のペアエプロン、しかも汚れやすいから避けられる白の生地。
物凄く目立ったみたいで、他のお母さんからも注目を浴び、褒められました。
収入は3,000円。
子供が生まれ専業主婦になり、無収入だった私にとって、パートやアルバイトではなく、自分の好きな事での初収入。
3,000円、子供との外食で直ぐに消えてしまったけど(笑)
何気なく自分が作った親子エプロン。
まさかの他人の評価に嬉しく、結婚してから妻として母として、自分の存在にモヤモヤしていたので、ちょっと自信がつき、主婦というシンボルウェアとして、自作デザインのエプロンを着て、自分を表現していたようです。
社会と離れ、閉ざされた子供と一緒にいる世界。鳥かごの中の鳥。
私の中で、エプロンがきっかけとなり、ピョン!とポジティブに飛び出した瞬間。
本格的に好きを仕事に!しかし、、、波乱万丈
1998年~1999年
幼い頃から洋裁・手芸・編み物・クラフト作りが大好きだったことが蘇り、その後もMYデザインのエプロンを着て、雑貨SHOPのフリーマーケット出店や子育てママを集めて自宅でHandmade教室を開催。
『子供といる暮らし~4Seasons』@相模大野市民ギャラリーで初の個展開催。
子供との暮らしをイメージした、Handmade(洋裁・編み物・手芸・クラフト・木工)作品を4つのブースに分けてデコレーション展示。
子育て雑誌の取材も受け、2日間の入場者100名。
個展の作品の中で、非売品の親子ペアエプロンを欲しいというママ達の要望から、親子ペアエプロンだけ販売し、完売となった。
それをきっかけに、フリーの雑貨クリエイターとして、Fashion/interior/kitchen雑貨の企画・デザイン・製作活動開始。
2000年~2009年
家庭的で従順でキレイな妻を求めていた元夫と、そうした妻を演じ続け壊れてしまった私との溝が、徐々に広がり、話し合いもできないまま元夫の浮気が原因で、一人息子が3歳の時別居、6歳の時正式協議離婚。
シングルマザーとなるが、もうこれまでの自分の殻を破り、私らしさを大切に息子との新たな人生をと決意。
環境を変えたく、息子と移り住んだ古い一軒家を、思い切って自分でリフォームし、ユーズド家具でコーディネートした自宅兼アトリエが、2000年創刊ムック『レタスクラブインテリア』インテリアコンテストで、まさかのグランプリ受賞。
幸運なスタートに有頂天になり、その後自宅インテリアの取材も多数依頼・掲載されるが、私の肩書は雑貨クリエイター。
同年、独学や趣味での洋裁に限界を感じ、本格的にプロのデザイナーとして洋裁の技術を取得したく、仕事開始と同時に、藤沢職業訓練校アパレルシステム科に入学。1年6ヶ月間、洋裁の基礎を学ぶ。
茅ヶ崎・川崎・中目黒の雑貨shopや代官山のセレクトshopに、オリジナルデザイン商品を卸しするかたわら、個展・雑貨shopとのコラボ企画・雑誌・通販・workshop講師の仕事と幅広く活躍。
一度はアッサリ諦めたアパレル業界。
何のキャリアもコネもなく、フリーの雑貨クリエイターに転身。
ただ、当時雑貨ブームでもあったため、自らプロモーションし、営業に走ったSHOP/出版社での仕事も順調。
しかし、仕事欲しさに、ついクライアントの要望・依頼を断りきれず、合わせて作るアイテムも広範囲に広がり、自分が本当に作りたい作品・アイテムがボヤけて分からなくなり悩み続ける。
しかも、長く活動しながらも、この仕事だけでは生計を立てれず、いつまで経ってもアルバイトとの二足の草鞋。
2009年、雑貨業界のブームも去り、限界を感じ、活動終止。
2010年~2016年
子供の教育費と母の遠方介護も重なり、安定収入を得るため、好きでもない職種でアルバイト・パート・派遣を転々。
専門学校を卒業した息子も、社会人となり独立。
母の遠方介護も、5年かけてようやく施設入所が決まり落ち着く。
7年間、子供の為・実家の母の介護の為と、割り切りな仕事をし、我慢の連続で心身疲れ果てしまい、今後の自分の仕事の選択を考え直す。
そして、納得して断念したはずのアパレル業だったが、好きなデザインの仕事をしていた当時の私は、心からやりがいを感じ、精力的に自力で仕事していたことを思い出し、当時の問題点をじっくりと検討。
そして、たどり着いたのが、ブランディングもしっかり確立しないまま、好きな仕事をしているということに舞い上がり、流れに身を任せていたどこかゆるいビジネスだったこと。
今だからよく分かる。
そこで、先ずこの先もずっと作り続け愛してやまないアイテムは何か?アイテムを一つに絞ろうと決めた。
そして、パッと浮かんだのが、エプロンだったのです。
2017年
長年愛用してきたエプロンの魅力を発信したく、Apron Designerとして再始動。
偶然にも、家から徒歩のデザイン事務所兼CafeShopで、広告フォトグラファー主催の商品撮影のWorkShopがあり、商品撮影の基礎を学び、自宅での写真撮影スタジオの設置も準備。
個人レーベルブランド『Apron Work』を、独自の感性・技術・経験を活かしたエプロンをデザイン製作、ネット販売。
不定期にイベント出店も。
しかし、やっと立ち上げて活動開始した半年後、長年の交際相手の度重なる問題に対しフォローも限界で別離。
母の施設入所の後、実家の売却に伴う問題解決にトラブルが重なる。
経済的・精神的ショックと苦痛の連鎖から抜け出せなくなり、準備万端で開始したのに、悔しい想いで辞めてしまう。
2018年~現在
しかたなくまた、派遣の仕事に戻り、分かっていたけど、どの仕事も合わずつまらなく、ストレスの日々。
心の隅には、いつかまたエプロンを作りたい!という想いを抱えていたが、半年で辞めてしまった事にも囚われて、なかなか勇気が出なかった。
そして、月日が経ち、状況も落ち着き、一人息子も結婚。
8年間の交際を経ての息子夫婦の純粋な絆の深さ、幸せな笑顔に、ハッと思いました。
もう過去をグジグジ考えるのはよそう!もう一度リベンジしよう!
心から愛してやまない好きな仕事で、息子夫婦の為にも、ずっとキラキラ輝く母でいたい!
そして、将来孫ができたら、いつまでも若々しく自立しているおばあちゃんでいたい!
そして、一生、エプロンが似合う女でいたい!
辛いことが色々あったけど、やっぱり私エプロン大好き!
熱い想いが、一気に蘇ったんです。
世界に一枚だけのMy Design Apron
もう、かれこれ25年間、エプロンを日常着として愛用しています。
きっかけは…専業主婦時代、何か自分のワークスタイルを意味付けできるモノはないか?と模索していた時、主婦・家事・育児業に欠かせないエプロンを身に着けると、は・た・ら・くスイッチが入る瞬間に『これだ!』と神が降りました。
でも当時、お店には納得のいくデザインのエプロンがあまりなく、ようやくMUJIで買った一枚のエプロンを汚れても着続け、専業主婦だったから自由なお金もなく、何となく割り切って我慢していました。
しかし、息子と通っていた絵本屋のバザー出店で、新しいエプロンを作ってみたことから始まり、洋裁が好きだった自分を思い出し、幸せな気分になったことから、自分の好きなデザインで自分の為のエプロンを作り、愛用するスタイルが定着しました。
世界に一枚だけのMy Design Apron。
好みの生地・色・模様・ディテール・デザインを身に着けるのは至極の喜び。
エプロンは洋服同様、すっかり私のライフスタイルの一部となっています。
毎日取り替え洗濯しているので、長年の生地の老化はでてきても、あまり汚れることはありません。
私だけのワークエプロンで、スイッチON!
それぞれの職業で、用途に合うワークウエアがありますよね。
そのプロスタイルって何かカッコイイ!と思ってました。
それで、自宅一室の洋裁部屋でエプロンデザイナーの仕事に取り掛かる時、私専用のワークエプロンを作って、作業してみたんです。
そうしたら、頻繁に使う洋裁道具の出し入れも、エプロンのポケットに指定席をつけることで、紛失することもなく、作業がスムーズに。
自分使用の必要不可欠なポケットは、職人気質な気分になり、スイッチ入り、やる気モードになれます。
何時でも何処でもエプロン。エプロン着るとモテる!
エプロンを着るのが習慣になると、何時でも何処でもエプロンスタイル。
買い物は勿論、近場のイベントやワークショップにも、エプロンをコーディネーション。
女性が集まるお料理教室では、他の方々とは違うデザインエプロンなので、『素敵なエプロンね~~~♥ 何処で買ったの?』とよく聞かれ、『マイブランドよ。』って言うと、驚かれます。
ただ、ただ自己満足なエプロンスタイルで、エプロン大好きだから、人の目線など全然気にしてなかった。
だから、思わず他人に褒められると、ココロなしか嬉しくなるし、自信に繋がります。
特に女性。女性の目線って鋭いからね(笑)
エプロンのイメージって、男性と女性では違うみたいです。
男性は、家事をテキパキこなす良妻賢母orメイドや性的ファッション(妄想的)
女性は、家事をする時だけの仕事着(現実的)
イメージは違えど、男性でも女性でも、料理を作る時とか、エプロン身につけ、手際よくキビキビ動くと、思わず惚れちゃいませんか?
たとえ手際悪くても、一生懸命作る健気な姿も、思わずキュンとしちゃいますよね。
だから、モテたい男女は、是非エプロン着て、ハツラツと家事してね!
きっとそのエプロン姿のオーラが人を魅了し、知らず知らずのうちに目に焼き付くのです。
イメージしてみてください。
NOエプロンよりYESエプロンの方が、イメージアップに繋がりませんか?
だから、モテたい男女は、エプロン着ましょうね。
そして、更にモテたい男女は、心美しく、粋にカッコよくエプロン着るべし(笑)
エプロンを着て幸せに ♥
自分にとって心地よく肩肘上げない、でもこだわりたいファッション。
昔も今もこれからも、ずっとエプロン!
一つこれ!って決まると、その世界をもっと追求したくなり、アイデアが無限大に広がります。
このワクワク感、心躍るダンスのよう♪ ♪ ♪
そして、エプロン着ている自分が大好き!
エプロンはスタイルの良し悪し、関係ありません。
それは、本来の目的はファッションではなくWork Wearだからです。
これまで長い間、エプロンは暮らしで、自分らしい生活を楽しむ・表現する必須アイテムとして、当たり前の存在。
自分の為にデザインしたエプロンを愛用し続け、エプロンをオシャレに着こなす工夫をしたり、エプロンを着るだけで、ありきたりな生活の中に幸せスイッチが入る瞬間が何度もあります。
私らしい暮らしを自由につ・く・る。
何気ない日常も非日常になる瞬間って、なんて!ドラマチック!
だから、世界に一枚の自分だけのエプロンを着ることでの喜びを、あなたにも届けたい!
誰ももっていない一枚を着るって、特別なオートクチュール感を味わえるのです。
コーディネートやデザインのご相談も、お受けいたします。どうぞお気軽にどうぞ。
Apron Workのエプロンで、ありきたりな日常もHappyにドラマチックに。
洋服のように、エプロンファッションも、あなたらしく心地よく表現。
あなたの暮らしに、新たな発見と変化ができたら最幸です!!!